名勝(めいしょう)
筆捨山(ふですてやま)
標高(ひょうこう)285m(メートル)。筆捨山(ふですてやま)という名前(なまえ)は、狩野元信(かのうもとのぶ)(室町時代(むろまちじだい)の絵師(えし)。狩野派(かのうは)の祖(そ)。伝統的(でんとうてき)大和絵(やまとえ)の技法(ぎほう)を採(と)り入(い)れて障壁画(しょうへきが)などに新境地(しんきょうち)を開拓(かいたく)した。)が、いつも形(かたち)が変(か)わって見(み)えたので、描(えが)く途中(とちゅう)で諦(あきら)めたことに由来(ゆらい)するという。
羽黒山(はぐろやま)
標高(ひょうこう)280m(メートル)。正法寺山荘跡(しょうぼうじさんそうあと)の背後(はいご)にあり巨岩(きょがん)が連(つら)なり、鈴鹿(すずか)国定公園(こくていこうえん)の景勝地(けいしょうち)。記念切手(きねんきって)になっているのもここ。山腹(さんぷく)には源義経(みなもとのよしつね)家臣(かしん)の佐藤継信(さとうつぐのぶ)・忠信(たたのぶ)兄弟(きょうだい)が勧請(かんじょう)したと伝(つた)えられる羽黒(はぐろ)権現社(ごんげんしゃ)がある。巨岩(きょがん)の窟(いわや)に鎮座(ちんざ)まします社殿(しゃでん)は実(じつ)に神々(こうごう)しい。
観音山(かんのんやま)
標高(ひょうこう)224m(メートル)。古(ふる)くは唐櫃岨山(からとそざん)と呼(よ)ばれていたが、正保(しょうほう)2年(ねん)(1645)に現在(げんざい)の観音院(かんのんいん)が一時(いちじ)移(うつ)されたことから観音山(かんのんやま)と呼(よ)ばれるようになった。丹波佐吉(たんばさきち)の観音像(かんのんぞう)、鈴鹿関(すずかのせき)城壁跡(じょうへきあと)もある歴史(れきし)の宝庫(ほうこ)。