亀山こども歴史館トップページ 亀山(かめやま)のいいとこさがし 地蔵院(じぞういん)本堂(ほんどう)・鐘楼(しょうろう)・愛染堂(あいぜんどう)

[亀山(かめやま)のいいとこさがし]亀山市(かめやまし)には、よその人(ひと)たちにも教(おし)えてあげたいような「いいところ」がたくさんあります。これらは、豊(ゆた)かな自然(しぜん)の中(なか)で、むかしから現在(げんざい)までの人(ひと)たちのくらしの中(なか)でつみ重(かさ)ねられてきたものばかりです。さあ、亀山市(かめやまし)にはどんな「いいところ」があるのかさがしてみましょう。

地蔵院(じぞういん)本堂(ほんどう)・鐘楼(しょうろう)・愛染堂(あいぜんどう)

正式(せいしき)の名称(めいしょう)は、九関山(きゅうかんざん)寶蔵寺(ほうぞうじ)地蔵院(じぞういん)。開基(かいき)は天平(てんぴょう)13年(ねん)(741)で行基(ぎょうき)が本尊(ほんぞん)を刻(きざ)んだと伝(つた)えられる。関(せき)の中心的(ちゅうしんてき)寺院(じいん)で、江戸時代(えどじだい)初期(しょき)において関(せき)の地名(ちめい)は「関地蔵(せきじぞう)」と呼(よ)ばれていた。本堂(ほんどう)は元禄(げんろく)13年(ねん)(1700)の建立(こんりゅう)で、このとき本尊(ほんぞん)を江戸(えど)で出開帳(でがいちょう)して寄進(きしん)を募(つの)った。愛染堂(あいぜんどう)は現本堂(げんほんどう)が建立(こんりゅう)されるまでの本堂(ほんどう)で、江戸時代(えどじだい)初頭(しょとう)の建築(けんちく)と見(み)られ亀山市(かめやまし)に残(のこ)る建築物(けんちくぶつ)で最古(さいこ)のものと見(み)られる。本堂(ほんどう)・愛染堂(あいぜんどう)・鐘楼(しょうろう)は近世(きんせい)建築(けんちく)の代表例(だいひょうれい)として重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定(してい)されている。

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