笛吹明神跡(ふえふきみょうじんあと)
新所(しんじょ)の東端(ひがしはし)、地蔵院(じぞういん)の東(ひがし)にあった神社(じんじゃ)。明治(めいじ)42年(ねん)(1909)に関神社(せきじんじゃ)に合祀(ごうし)され現在(げんざい)は跡地(あとち)の一角(いっかく)が明神地区(みょうじんちく)の集会場(しゅうかいじょ)となっている。新所地区(しんじょちく)の鎮守(ちんじゅ)で、15世紀(せいき)の後半(こうはん)に対岸(たいがん)の加行山(がんごやま)から遷(うつ)されたと伝(つた)えられる。現在(げんざい)関宿(せきじゅく)夏祭(なつまつ)りに渡御(とぎょ)する神輿(しんよ)は本来(ほんらい)笛吹明神(ふえふきみょうじん)の祭礼(さいれい)であった。