観音院(かんのんいん)
もとは関西山(かんせいざん)福聚寺(ふくじゅじ)と呼(よ)ばれ、弘法大師(こうぼうだいし)が刻(きざ)んだ観音菩薩(かんのんぼさつ)を本尊(ほんぞん)として創建(そうけん)され、新所(しんじょ)の南側(みなみがわ)にあったという。度重(たびかさ)なる戦乱(せんらん)で焼失(しょうしつ)し、寛文(かんぶん)5年(ねん)(1665)に現在地(げんざいち)に移(うつ)って再興(さいこう)され寺号(じごう)も関西山(かんせいざん)観音院(かんのんいん)と改(あらた)められた。
もとは関西山(かんせいざん)福聚寺(ふくじゅじ)と呼(よ)ばれ、弘法大師(こうぼうだいし)が刻(きざ)んだ観音菩薩(かんのんぼさつ)を本尊(ほんぞん)として創建(そうけん)され、新所(しんじょ)の南側(みなみがわ)にあったという。度重(たびかさ)なる戦乱(せんらん)で焼失(しょうしつ)し、寛文(かんぶん)5年(ねん)(1665)に現在地(げんざいち)に移(うつ)って再興(さいこう)され寺号(じごう)も関西山(かんせいざん)観音院(かんのんいん)と改(あらた)められた。