野村一里塚(のむらいちりづか)
慶長(けいちょう)9年(ねん)(1604年(ねん))、徳川秀忠(とくがわひでただ)の命(めい)をうけて、当時(とうじ)の亀山城主(かめやまじょうしゅ)であった関一政(せきかずまさ)が築造(ちくぞう)しました。当初(とうしょ)は道(みち)の両側(りょうがわ)にありましたが、大正(たいしょう)9年(ねん)(1920年(ねん))に南側(みなみがわ)の塚(つか)が取(と)り払(はら)われ、片側(かたがわ)の塚(つか)だけが残(のこ)されています。現在(げんざい)三重県下(みえけんか)の東海道(とうかいどう)では唯一(ゆいいつ)現存(げんぞん)する一里塚(いちりづか)で、わが国(くに)の交通史上(こうつうしじょう)で重要(じゅうよう)な遺跡(いせき)として、昭和(しょうわ)9年(ねん)(1934年(ねん))に国史跡(くにしせき)に指定(してい)されました。なお、塚上(つかじょう)のムクノキは築造(ちくぞう)当初(とうしょ)に植(う)えられたと推定(すいてい)されています。