能褒野(のぼの)王塚(おうつか)古墳(こふん)
4世紀(せいき)末(まつ)の築造(ちくぞう)と考(かんが)えられる全長(ぜんちょう)90m(メートル)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)。江戸時代(えどじだい)には丁子塚(ちょうしづか)と呼(よ)ばれていたが明治(めいじ)12年(ねん)(1879)にヤマトタケルの墓(はか)と決(き)められ現在(げんざい)にいたる。ヤマトタケルの墓(はか)とされるのは能褒野(のぼの)のほかに「琴弾原(ことびきはら)御墓(おんぼ)」(奈良県(ならけん)御所市(ごせし))と「日本武尊(やまとたけるのみこと)白鳥陵(はくちょうりょう)」(大阪府(おおさかふ)羽曳野市(はびきのし))で、いずれも陵墓(りょうぼ)として宮内庁(くないちょう)により管理(かんり)されている。