亀山こども歴史館トップページ 亀山(かめやま)のいいとこさがし 心形刀流(しんぎょうとうりゅう)武芸形(ぶげいかた)

[亀山(かめやま)のいいとこさがし]亀山市(かめやまし)には、よその人(ひと)たちにも教(おし)えてあげたいような「いいところ」がたくさんあります。これらは、豊(ゆた)かな自然(しぜん)の中(なか)で、むかしから現在(げんざい)までの人(ひと)たちのくらしの中(なか)でつみ重(かさ)ねられてきたものばかりです。さあ、亀山市(かめやまし)にはどんな「いいところ」があるのかさがしてみましょう。

心形刀流(しんぎょうとうりゅう)武芸形(ぶげいかた)

心形刀流(しんぎょうとうりゅう)は、天和(てんな)2年(ねん)(1682)に伊庭(いば)是水軒(じょすいけん)秀明(ひであき)が創始(そうし)した武芸(ぶげい)の流派(りゅうは)で、江戸(えど)四大(よんだい)道場(どうじょう)のひとつとして隆盛(りゅうせい)を極(きわ)めました。伊庭道場(いばどうじょう)で奥義(おうぎ)を学(まな)んだ亀山藩士(かめやまはんし)山崎雪柳軒(やまざきせつりゅうけん)により元治(げんじ)2年(ねん)(1862)に亀山(かめやま)に道場(どうじょう)が設(もう)けられ、亀山藩(かめやまはん)御流儀(おんりゅうぎ)として、藩主(はんしゅ)以下(いか)、多(おお)くの藩士(はんし)が入門(にゅうもん)しました。明治(めいじ)以降(いこう)、各地(かくち)の心形刀流(しんぎょうとうりゅう)が廃(すた)れる中(なか)で、心形刀流(しんぎょうとうりゅう)保存(ほぞん)赤心会(せきしんかい)により亀山(かめやま)だけに綿々(めんめん)と伝(つた)えられています。昭和(しょうわ)50年(ねん)三重県(みえけん)無形文化財(むけいぶんかざい)に指定(してい)されています。

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