亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)ヤマトタケルの墓(はか)はどこか

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

ヤマトタケルの墓(はか)はどこか

ヤマトタケルの墓(はか)であるノボノは、300年(ねん)ぐらい前(まえ)にはどこにあったのかわからなくなっていました。このため、本居宣長(もとおりのりなが)などの多(おお)くの学者(がくしゃ)がノボノがどこにあるのかの研究(けんきゅう)を続(つづ)け、いろいろな古墳(こふん)がヤマトタケルの墓(はか)との考(かんが)えが出(だ)されました。1879年(ねん)(明治(めいじ)12)、国(くに)によって現在(げんざい)の田村町(たむらちょう)にある「丁子塚(ちょうじづか)」(能褒野王塚古墳(のぼのおうづかこふん))がヤマトタケルの墓(はか)と定(さだ)められ、今(いま)にいたっています。

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