葉若荘(はわかのしょう)
現在(げんざい)の羽若町(はわかちょう)から亀田町付近(かめだちょうふきん)にあたるとみられます。1221年(ねん)(承久(じょうきゅう)3年(ねん))北条政子(ほうじょうまさこ)によって伊勢神宮(いせじんぐう)に寄付(きふ)されました。糀屋垣内遺跡(こうじやがいといせき)や大藪遺跡(おおやぶいせき)からは100棟(とう)をこえる建物跡(たてものあと)などがみつかっており、葉若荘(はわかのしょう)の中心部分(ちゅうしんぶぶん)とみられます。
![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../img/text_01.gif)
現在(げんざい)の羽若町(はわかちょう)から亀田町付近(かめだちょうふきん)にあたるとみられます。1221年(ねん)(承久(じょうきゅう)3年(ねん))北条政子(ほうじょうまさこ)によって伊勢神宮(いせじんぐう)に寄付(きふ)されました。糀屋垣内遺跡(こうじやがいといせき)や大藪遺跡(おおやぶいせき)からは100棟(とう)をこえる建物跡(たてものあと)などがみつかっており、葉若荘(はわかのしょう)の中心部分(ちゅうしんぶぶん)とみられます。