和田荘(わだのしょう)
現在(げんざい)の和田町(わだちょう)から栄町(さかえまち)、川合町付近(かわいちょうふきん)にあたるとみられます。和田荘(わだのしょう)をめぐって1349年(ねん)(貞和(じょうわ)5年(ねん))に行(おこな)われた裁判(さいばん)の記録(きろく)によって、だれの荘園(しょうえん)であったのかがよくわかっています。この記録(きろく)では、1135年(ねん)(保延(ほうえん)元年(がんねん))に和田荘(わだのしょう)として正式(せいしき)に認(みと)められ、藤原氏(ふじわらし)の一族(いちぞく)で摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)を代々(だいだい)つとめた九条氏(くじょうし)が受(う)け継(つ)いだ荘園(しょうえん)です。この荘園(しょうえん)を同(おな)じ藤原氏(ふじわらし)の一族(いちぞく)である吉田氏(よしだし)が管理(かんり)を行(おこな)っていました。

![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../img/text_01.gif)














