亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)縄文時代(じょうもんじだい)(はじ)めごろのくらし

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

縄文時代(じょうもんじだい)(はじ)めごろのくらし

亀山市域(かめやましいき)に人(ひと)が住(す)み始(はじ)めたころ、人々(ひとびと)がどのようなくらしをしていたかはよくわかっていません。見(み)つかる石器(せっき)はナイフなど、切(き)ったりさしたりするためのものが見(み)つかっていますので、動物(どうぶつ)や植物(しょくぶつ)をとって暮(く)らしていたと思(おも)われます。

 

有茎尖頭器(ゆうけいせんとうき)

縄文時代(じょうもんじだい)はじめごろに使(つか)われた、先(さき)がとがった石器(せっき)で、木(き)の棒(ぼう)の先(さき)に取(と)りつけて槍(やり)のようにして使(つか)い、小(ちい)さな動物(どうぶつ)などを獲(と)っていたとみられます。市内(しない)では、正知浦遺跡(しょうちうらいせき)(亀田町(かめだちょう))、正法寺山荘跡(しょうぼうじさんそうあと)(関町鷲山(せきちょうわしやま))、西ノ沢遺跡(にしのさわいせき)(関町古厩(せきちょうふるまや))などでみつかっています。

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