大王(だいおう)と亀山(かめやま)の豪族(ごうぞく)
古墳時代(こふんじだい)の前半(ぜんはん)では、古墳(こふん)の大(おお)きさはその古墳(こふん)にほうむられた王(おう)の力(ちから)をそのままあらわしていると考(かんが)えられています。同時(どうじ)に奈良(なら)・大阪地域(おおさかちいき)の大(おお)きな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と同(おな)じ形(かたち)の古墳(こふん)がこの地域(ちいき)にきずかれることは、大和朝廷(やまとちょうてい)とこの地域(ちいき)の王(おう)の関係(かんけい)をあらわしているといえます。
古墳(こふん)の大(おお)きさくらべ
市内(しない)で一番(いちばん)大(おお)きな古墳(こふん)は、三重県北部(みえけんほくぶ)最大(さいだい)の能褒野王塚古墳(のぼのおうづかこふん)です。しかし、時代(じだい)ごとの古墳(こふん)の大(おお)きさをみると、亀山市域(かめやましいき)の古墳(こふん)が特別(とくべつ)に大(おお)きなものではないことがわかります。

![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../img/text_01.gif)














