底(そこ)に段(だん)のある埴輪(はにわ)
亀山市域(かめやましいき)では能褒野王塚古墳(のぼのおうづかこふん)の後(あと)150年(ねん)ほど埴輪(はにわ)がつくられることはなく、再(ふたた)び作(つく)り始(はじ)められたときは、底(そこ)に段(だん)のある埴輪(はにわ)が数多(かずおお)くみられるようになります。これは、植物(しょくぶつ)でできた輪(わ)の上(うえ)にねんどを積(つ)み上(あ)げて埴輪(はにわ)を作(つく)ったあとで、この作(つく)り方(かた)は伊勢湾地域(いせわんちいき)の特徴(とくちょう)となっています。

![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../../img/text_01.gif)














