数学(すうがく)
江戸時代(えどじだい)の亀山藩(かめやまはん)には、数学(すうがく)(和算(わさん))を熱心(ねっしん)に研究(けんきゅう)していた親子(おやこ)がいました。堀池衡山(ほりいけこうざん)と堀池久道(ほりいけひさみち)の親子(おやこ)です。
父親(ちちおや)の堀池衡山(ほりいけこうざん)は、亀山藩(かめやまはん)の学校(がっこう)である明倫舎(めいりんしゃ)で勉強(べんきょう)を教(おし)えながら数学(すうがく)の研究(けんきゅう)をしていました。子(こ)の久道(ひさみち)は、父親(ちちおや)の研究(けんきゅう)した内容(ないよう)を世(よ)に広(ひろ)めるため、「要妙算法(ようみょうさんぽう)」7冊(さつ)と、「揭楣算法(けいびさんぽう)」2冊(さつ)を書(か)き残(のこ)しました。
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要妙(ようみょう)算法(さんぽう)
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揭楣(けいび)算法(さんぽう)