亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)亀山(かめやま)・関(せき)・坂之下(さかのした)を描(えが)いた浮世絵(うきよえ)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

亀山(かめやま)・関(せき)・坂之下(さかのした)を描(えが)いた浮世絵(うきよえ)

浮世絵(うきよえ)は、明和年間(めいわねんかん)(1764〜72)に鈴木春信(すずきはるのぶ)によって大量生産(たいりょうせいさん)できる多色刷(たしょくず)り版画(はんが)の技術(ぎじゅつ)が開発(かいはつ)され、安価(あんか)で販売(はんばい)できるようになったことから大流行(だいりゅうこう)しました。絵師(えし)(今(いま)でいう画家(がか))の葛飾北斎(かつしかほくさい)や歌川広重(うたがわひろしげ)は東海道(とうかいどう)の風景(ふうけい)を描(えが)き、中(なか)でも歌川広重(うたがわひろしげ)は、亀山(かめやま)は京口門(きょうぐちもん)と京口坂(きょうぐちざか)、関(せき)は本陣(ほんじん)、坂之下(さかのした)なら筆捨山(ふですてやま)というように、同(おな)じ場所(ばしょ)を多(おお)く描(えが)きました。

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