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>日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)>1910年(ねん)(明治(めいじ)44年(ねん))5月(がつ)3日(にち)
皇太子(こうたいし)、女子師範学校(じょししはんがっこう)に立(た)ち寄(よ)る
皇太子(こうたいし)、女子師範学校(じょししはんがっこう)に立(た)ち寄(よ)る
1910年(ねん)(明治(めいじ)43年(ねん))5月(がつ)3日(にち)
皇太子(こうたいし)、女子師範学校(じょししはんがっこう)に立(た)ち寄(よ)る
1910年(ねん)(明治(めいじ)43年(ねん))、皇太子(こうたいし)(後(のち)の大正天皇(たいしょうてんのう))が、三重県女子師範学校(みえけんじょししはんがっこう)を視察(しさつ)のため行啓(ぎょうけい)され、亀山駅(かめやまえき)から南崎権現(みなみざきごんげん)の横(よこ)(南崎町(みなみざきちょう))を通(とお)り、西町(にしまち)・東町(ひがしまち)をゴム輪(わ)の人力車(じんりきしゃ)で移動(いどう)されました。
※三重県女子師範学校(みえけんじょししはんがっこう)は亀山東小学校(かめやまひがししょうがっこう)の場所(ばしょ)に建(た)っていました。
※行啓(ぎょうけい)…皇后(こうごう)・皇太后(こうたいごう)・皇太子(こうたいし)・皇太子妃(こうたいしひ)が外出(がいしゅつ)すること
(あゆみP488の写真)