亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)1868年(ねん)(慶応(けいおう)4年(ねん))、明治天皇(めいじてんのう)が東京(とうきょう)へ行幸(ぎょうこう)のためこの地域(ちいき)を通(とお)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

1868年(ねん)(慶応(けいおう)4年(ねん))、明治天皇(めいじてんのう)が東京(とうきょう)へ行幸(ぎょうこう)のためこの地域(ちいき)を通(とお)

1868年(ねん)(慶応(けいおう)4年(ねん))9月(がつ)に明治天皇(めいじてんのう)が、京都(きょうと)から東海道(とうかいどう)を通(とお)って東京(とうきょう)へ行幸(ぎょうこう)しました。この地域(ちいき)へは、9月(がつ)23日(にち)に到着(とうちゃく)し、鈴鹿峠(すずかとうげ)の茶屋(ちゃや)、堺屋五右衛門宅(さかいやごえもんたく)へ休憩(きゅうけい)に立(た)ち寄(よ)り、関宿(せきじゅく)の川北本陣(かわきたほんじん)で宿泊(しゅくはく)しました。翌日(よくじつ)には、関宿(せきじゅく)の東(ひがし)の追分(おいわけ)で、伊勢神宮(いせじんぐう)に向(む)かって拝(おが)まれ、その後(ご)亀山宿(かめやましゅく)の樋口本陣(ひぐちほんじん)で休憩(きゅうけい)をしました。京都(きょうと)へ帰(かえ)る時(とき)も、関宿(せきじゅく)の川北本陣(かわきたほんじん)に宿泊(しゅくはく)(12月(がつ)9日(にち))しました。
また、翌年(よくねん)の明治(めいじ)2年(ねん)3月(がつ)にも、明治天皇(めいじてんのう)が東京(とうきょう)へ行幸(ぎょうこう)され、この時(とき)も関宿(せきじゅく)で川北本陣(かわきたほんじん)に宿泊(しゅくはく)しましたが、その後(ご)伊勢神宮(いせじんぐう)に寄(よ)ったため、亀山宿(かめやましゅく)は通(とお)りませんでした。

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