亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)華族(かぞく)や士族(しぞく)の給与(きゅうよ)の支給廃止(しきゅうはいし)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

華族(かぞく)や士族(しぞく)の給与(きゅうよ)の支給廃止(しきゅうはいし)

華族(かぞく)や士族(しぞく)には、家格(かかく)に応(おう)じて米(こめ)による現物(げんぶつ)で支給(しきゅう)された給与(きゅうよ)を家禄(かろく)といい、王政復古(おうせいふっこ)・戊辰戦争(ぼしんせんそう)の功労者(こうろうしゃ)に支給(しきゅう)された給与(きゅうよ)を賞典禄(しょうてんろく)といい、この家禄(かろく)と賞典録(しょうてんろく)をあわせて秩禄(ちつろく)とよびます。
この秩禄(ちつろく)は政府(せいふ)より支払(しはら)われましたが、政府(せいふ)の財政(ざいせい)を圧迫(あっぱく)しました。そこで、1875年(ねん)(明治(めいじ)8年(ねん))に家禄(かろく)を米(こめ)で支給(しきゅう)することを廃止(はいし)し、貨幣(かへい)での支給(しきゅう)にするなどし、最終的(さいしゅうてき)には、1876年(ねん)(明治(めいじ)9年(ねん))に秩禄(ちつろく)の支給(しきゅう)を廃止(はいし)し、代(か)わりに金録公債証書(きんろくこうさいしょうしょ)を発行(はっこう)しました。これを秩禄処分(ちつろくしょぶん)といいます。

家禄奉還之願(かろくほうかんのねがい)

ページの先頭(せんとう)に戻(もど)る
  • 亀山市歴史博物館(かめやましれきしはくぶつかん)
  • 亀山市史(かめやましし)
  • 亀山市(かめやまし)ホームページ
  • 日本博物館協会(にほんはくぶつかんきょうかい)
  • 三重県博物館協会(みえけんはくぶつかんきょうかい)