亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)四民平等(しみんびょうどう)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

四民平等(しみんびょうどう)

皇族以外(こうぞくいがい)は、公家(くげ)・大名(だいみょう)を華族(かぞく)、百姓(ひゃくしょう)・町人(ちょうにん)(商人(しょうにん))を平民(へいみん)とし、等(ひと)しく平等(びょうどう)としました。

 

平民(へいみん)の名字使用(みょうじしよう)

江戸時代(えどじだい)は、名字(みょうじ)があっても貴族(きぞく)や武士(ぶし)の階級以外(かいきゅういがい)では、許(ゆる)された人(ひと)しか名乗(なの)ることが許(ゆる)されませんでした。
明治(めいじ)になると、政府(せいふ)は、後(のち)の戸籍法(こせきほう)の制定(せいてい)や徴兵令(ちょうへいれい)において必要(ひつよう)であることから、1870年(ねん)(明治(めいじ)3年(ねん))9月(がつ)19日(にち)に「平民苗字許可令(へいみんみょうじきょかれい)」を制定(せいてい)し、平民(へいみん)にも苗字(みょうじ)を名乗(なの)ることを認(みと)めました。しかし、あえて名乗(なの)ろうとする人(ひと)はほとんどいなかったので、 1875年(ねん)(明治(めいじ)8年(ねん))2月(がつ)13日(にち)に新(あら)たに「平民苗字必称義務令(へいみんみょうじひっしょうぎむれい)」を制定(せいてい)し、苗字(みょうじ)を名乗(なの)ることを強制(きょうせい)しました。

ページの先頭(せんとう)に戻(もど)る
  • 亀山市歴史博物館(かめやましれきしはくぶつかん)
  • 亀山市史(かめやましし)
  • 亀山市(かめやまし)ホームページ
  • 日本博物館協会(にほんはくぶつかんきょうかい)
  • 三重県博物館協会(みえけんはくぶつかんきょうかい)