亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)流行病(はやりやまい)と避病院(ひびょういん)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

流行病(はやりやまい)と避病院(ひびょういん)

現在(げんざい)のように医療(いりょう)が充実(じゅうじつ)していなかった時代(じだい)、人々(ひとびと)にとって天然痘(てんねんとう)・ペスト・コレラ・赤痢(せきり)などの伝染病(でんせんびょう)は大変(たいへん)(こわ)い病気(びょうき)でした。
そこで、政府(せいふ)は、1870年(ねん)(明治(ねん)3年(ねん))に天然痘(てんねんとう)の予防接種(よぼうせっしゅ)である種痘(しゅとう)の接種(せっしゅ)を義務(ぎむ)づけました。
また、伝染病(でんせんびょう)の蔓延(まんえん)を防(ふせ)ぐために、各地(かくち)で隔離病舎(かくりびょうしゃ)が建(た)てられました。この隔離病舎(かくりびょうしゃ)を避病院(ひびょういん)と呼(よ)びます。
この地域(ちいき)では、現在(げんざい)の若山町(わかやまちょう)・関町新所(せきちょうしんじょ)・関町沓掛(せきちょうくつかけ)・加太板屋(かぶといたや)に避病院(ひびょういん)が建(た)てられました。



  隔離病舎かくりびょうしゃ(避病院ひびょういん

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