学制(がくせい)の公布(こうふ)と亀山(かめやま)の学校(がっこう)
1872年(ねん)(明治(めいじ)5年(ねん))に布告(ふこく)された学制(がくせい)では、全国(ぜんこく)を学区(がっく)で分(わ)け、各学区(かくがっく)に1校(こう)の学校(がっこう)を設立(せつりつ)するというものでした。三重県(みえけん)では、学制施行(がくせいせこう)の日(ひ)が浅(あさ)く、1学区(がっく)に1校(こう)の学校(がっこう)を設立(せつりつ)することができなかったので、数学区(すうがっく)の連区(れんく)で1校(こう)が設立(せつりつ)されました。亀山(かめやま)では、このような連区(れんく)の学校(がっこう)に阿野田学校(あのだがっこう)・東町学校(ひがしまちがっこう)・野村学校(のむらがっこう)・亀田学校(かめだがっこう)・和田学校(わだがっこう)があります。

![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../img/text_01.gif)














