関西線(かんさいせん)の複線電化(ふくせんでんか)への運動(うんどう)
関西線(かんさいせん)の名古屋(なごや)と亀山間(かめやまかん)の複線電化(ふくせんでんか)をめざして、1959年(ねん)(昭和(しょうわ)34年(ねん))から市民(しみん)をあげての取(と)り組(く)みが始(はじ)まりました。署名(しょめい)をしたり、複線化(ふくせんか)をするのに必要(ひつよう)となる枕木代(まくらぎだい)を寄付(きふ)するための募金(ぼきん)などの運動(うんどう)を国(くに)や県(けん)などに熱心(ねっしん)に行(おこ)ないました。
関西線(かんさいせん)の電化(でんか)
熱心(ねっしん)な市民運動(しみんうんどう)がみのって、1976年(ねん)(昭和(しょうわ)51年(ねん))に名古屋(なごや)と亀山間(かめやまかん)の電化(でんか)が決定(けってい)しました。1982年(ねん)(昭和(しょうわ)57年(ねん))5月(がつ)17日(にち)にようやく工事(こうじ)が完成(かんせい)し、「亀山市民号(かめやましみんごう)」となづけられた1番列車(ばんれっしゃ)が亀山駅(かめやまえき)を出発(しゅっぱつ)しました。