亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)(あたら)しい関町(せきちょう)の誕生(たんじょう)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

(あたら)しい関町(せきちょう)の誕生(たんじょう)

1954年(ねん)(昭和(しょうわ)29年(ねん))の亀山市(かめやまし)の誕生(たんじょう)により、旧神辺村(きゅうかんべむら)のうちの町小野(まちおの)や会下(えげ)、旧白川村(きゅうしらかわむら)の白木一色(しらきいっしき)や鷲山(わしやま)が関町(せきちょう)に組(く)み入(い)れられました。そのうえで、1955年(ねん)(昭和(しょうわ)30年(ねん))4月(がつ)17日(にち)、関町(せきちょう)、加太村(かぶとむら)、坂下村(さかしたむら)が合併(がっぺい)し、新(あら)たに関町(せきちょう)が誕生(たんじょう)しました。また、1958年(ねん)(昭和(しょうわ)33年(ねん))芸濃町(げいのうちょう)となっていた旧明村(きゅうあきらむら)の福徳(ふくとく)と萩原(はぎわら)が芸濃町(げいのうちょう)から分(わ)かれて関町(せきちょう)に加(くわ)わりました。

 

(あたら)しい関町(せきちょう)のマーク(町章(ちょうしょう)

(あたら)しい関町(せきちょう)のマークとして、関町(せきちょう)の「セ」の字(じ)をデザインしたマークが1972年(ねん)(昭和(しょうわ)47年(ねん))に定(さだ)められました。

 

関町役場(せきちょうやくば)

(あたら)しい関町(せきちょう)が誕生(たんじょう)した時(とき)は、中町(なかまち)にあった関町役場(せきちょうやくば)をそのまま使(つか)いました。しかし、建物(たてもの)も古(ふる)くせまくなったため、1983年(ねん)(昭和(しょうわ)58年(ねん))木崎(こざき)に新(あたら)しい役場(やくば)を建(た)てました。現在(げんざい)は亀山市役所(かめやましやくしょ)関支所(せきししょ)となっています。

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