亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)亀山市(かめやまし)の誕生(たんじょう)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

亀山市(かめやまし)の誕生(たんじょう)

1954年(ねん)(昭和(しょうわ)29年(ねん))10月(がつ)1日(にち)、亀山町(かめやまちょう)・昼生村(ひるおむら)・川崎村(かわさきむら)・野登村(ののぼりむら)・井田川村(いだがわむら)が合併(がっぺい)して亀山市(かめやまし)が誕生(たんじょう)しました。ただし、井田川村(いだがわむら)の東半分(ひがしはんぶん)は鈴鹿市(すずかし)と合併(がっぺい)しています。翌年(よくねん)の2月(がつ)1日(にち)には、鷲山(わしやま)と白木一色(しらきいっしき)をのぞく白川村(しらかわむら)と、町小野(まちおの)と会下(えげ)をのぞく神辺村(かんべむら)が亀山市(かめやまし)に加(くわ)わりました。また、はじめ芸濃町(げいのうちょう)(津市(つし))に合併(がっぺい)した明村(あきらむら)の楠平尾(くすびらお)が1958年(ねん)(昭和(しょうわ)33年(ねん))に芸濃町(げいのうちょう)から分(わ)かれて亀山市(かめやまし)に加(くわ)わりました。

 

亀山市(かめやまし)のマーク(市章(ししょう)

亀山市(かめやまし)のマークとして、「カメ山」の字(じ)をデザインしたマークが、1954年(ねん)(昭和(しょうわ)29年(ねん))に定(さだ)められました。

 

亀山市役所(かめやましやくしょ)

亀山市(かめやまし)が誕生(たんじょう)した時(とき)の亀山市役所(かめやましやくしょ)は、東丸町(ひがしまるちょう)にあった前(まえ)の亀山町役場(かめやまちょうやくば)を使(つか)いましたが、建物(たてもの)が1912年(ねん)(明治(めいじ)45年(ねん))に建(た)てられたもので古(ふる)くてせまかったため、1958年(ねん)(昭和(しょうわ)33年(ねん))に本丸町(ほんまるちょう)に新(あたら)しい市役所(しやくしょ)を建(た)てました。現在(げんざい)の市役所(しやくしょ)は、この時(とき)の建物(たてもの)を建(た)てましして使(つか)っています。



  昭和(しょうわ)33年(ねん)に完成(かんせい)した亀山市役所(かめやましやくしょ)

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