平氏(へいし)の台頭(たいとう)と亀山(かめやま)
平氏(へいし)は伊勢国(いせのくに)の各地域(かくちいき)に数多(かずおお)くの領地(りょうち)をもっていました。和田(わだ)や安楽(あんらく)、葉若(はわか)など亀山市域(かめやましいき)にある荘園(しょうえん)は、はじめ平氏(へいし)が持(も)っていたと考(かんが)えられます。和田荘(わだのしょう)はのちに藤原氏(ふじわらし)に贈(おく)られ、平氏(へいし)は皇室(こうしつ)や藤原氏(ふじわらし)との関係(かんけい)を強(つよ)める中(なか)で強大(きょうだい)な力(ちから)をつけてゆきます。
三子山(みつごやま)
現在(げんざい)の関町坂下(せきちょうさかした)付近(ふきん)のことをさしているとみられ、鈴鹿峠(すずかとうげ)の難所(なんしょ)を押(おさ)える重要(じゅうよう)な場所(ばしょ)です。この背後(はいご)にある三子山(みつごやま)から平氏(へいし)の宝(たから)である「抜丸(ぬきまる)」という名刀(めいとう)がみつけられたとする伝承(でんしょう)があります。おそらくは、平氏(へいし)がこの場所(ばしょ)を領地(りょうち)としていたことをうかがわせます。
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![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../img/text_01.gif)














