関盛雅(せきもりまさ)の戦(たたか)い
1429年(ねん)(正長(しょうちょう)2年(ねん))、北畠満雅(きたばたけみつまさ)がかつて南朝方(なんちょうがた)の皇子(おうじ)であった小倉宮(おぐらのみや)と幕府(ばくふ)に反乱(はんらん)を起(お)こしました。関盛雅(せきもりまさ)は1429年(ねん)(正長(しょうちょう)2年(ねん))に北畠氏(きたばたけし)とともに幕府方(ばくふがた)と戦(たたか)い、最後(さいご)は「山下(やました)」から姿(すがた)をくらまし、「羽黒(はぐろ)・白木(しらき)・いしか峯(みね)」の3つの城(しろ)は降伏(こうふく)しています。この戦(たたか)いの後(あと)、いったん関氏(せきし)の領地(りょうち)は取(と)り上(あ)げられますが、幕府(ばくふ)は関氏(せきし)を許(ゆる)して関氏(せきし)の領地(りょうち)を返(かえ)しています。

![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../img/text_01.gif)














