銅銭(どうせん)
平安時代(へいあんじだい)後半(こうはん)からわが国(くに)では独自(どくじ)の貨幣(かへい)を製造(せいぞう)せず、中国(ちゅうごく)などから輸入(ゆにゅう)した銅銭(どうせん)とその複製品(ふくせいひん)を貨幣(かへい)として流通(りゅうつう)させていました。
埋蔵銭(まいぞうせん)
銅銭(どうせん)は大量(たいりょう)に土(つち)に埋(う)められていることがあり、市域(しいき)でも明治(めいじ)14年(ねん)(1881年(ねん))に中庄町(なかのしょうちょう)で約(やく)58,000枚(まい)、明治(めいじ)30年(ねん)(1897年(ねん))に両尾町(ふたおちょう)で1,599枚(まい)の銅銭(どうせん)が見(み)つかっています。いかに大量(たいりょう)の銅銭(どうせん)が流通(りゅうつう)していたかがうかがえます。