亀山こども歴史館トップページ むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし赤飯(せきはん)・あずきめし

[むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし]1945年(ねん)〜1965年(ねん)(昭和(しょうわ)20年(ねん)〜40年(ねん))ころの市内(しない)では、どんな道具(どうぐ)を使(つか)って、どんなくらしをしていたでしょうか。

赤飯(せきはん)・あずきめし

 市内(しない)の赤飯(せきはん)・あずき飯(めし)は、行事(ぎょうじ)などの晴(は)れの日(ひ)に食(た)べられました。赤飯(せきはん)はもち米(ごめ)で、あずき飯(めし)はうるち米(まい)(ふつうの米(こめ))で作(つく)るとも言(い)われますが、じっさいには地域(ちいき)や家(いえ)によってさまざまです。神(かみ)さま・ほとけさまにそなえることもあります。



  赤飯(せきはん)

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