亀山こども歴史館トップページ むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし(た)べ物(もの)を保存(ほぞん)する

[むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし]1945年(ねん)〜1965年(ねん)(昭和(しょうわ)20年(ねん)〜40年(ねん))ころの市内(しない)では、どんな道具(どうぐ)を使(つか)って、どんなくらしをしていたでしょうか。

(た)べ物(もの)を保存(ほぞん)する

 冷蔵庫(れいぞうこ)がなかった時代(じだい)には、食(た)べ物(もの)を保存(ほぞん)することにいろいろな工夫(くふう)が必要(ひつよう)でした。できるだけ長(なが)い間(あいだ)(た)べることができるように、食(た)べ物(もの)を塩(しお)で漬(つ)けたり、かわかしたりして保存(ほぞん)しました。その後(ご)、冷蔵庫(れいぞうこ)が広(ひろ)まると、以前(いぜん)からの保存方法(ほぞんほうほう)をおこなう人(ひと)は減(へ)っていきました。

 

(つ)け物(もの)(塩(しお)に漬(つ)ける)

 漬(つ)け物(もの)も保存方法(ほぞんほうほう)の1つで、すぐに食(た)べる時(とき)は少(すく)なめの塩(しお)、長(なが)く保存(ほぞん)する時(とき)は多(おお)めの塩(しお)を入(い)れて漬(つ)けました。6月(がつ)になると梅干(うめぼし)、らっきょう漬(づ)け、夏(なつ)の盛(さか)りには、きゅうり・なすのぬか漬(づ)け、秋(あき)にはどぶ漬(づ)け、秋(あき)の終(お)わりから冬(ふゆ)にかけてはたくあん漬(づ)けを漬(つ)けていました。とくにたくあん漬(づ)けは多(おお)く、家(いえ)で食(た)べる1年分(ねんぶん)を漬(つ)けていました。



  大根干(だいこんぼ)

 

かんそう(かわかす)

 大根(だいこん)を干(ほ)してかわかして保存(ほぞん)する切(き)り干(ぼ)し大根(だいこん)もよくおこなわれ、細(ほそ)い大根(だいこん)をそのまま干(ほ)したものは「丸干(まるぼ)し大根(だいこん)」、細(ほそ)く切(き)って干(ほ)したものは「千切(せんぎ)り大根(だいこん)」などとよばれました。また、ゆでたさつまいもを干(ほ)した干(ほ)しいも、さといもの葉(は)の下(した)のくきを干(ほ)したずいきなども手作(てづく)りされていました。冬(ふゆ)の中(なか)でもとくに寒(さむ)い「寒(かん)」の時期(じき)には、もちをつき、かきもち・あられを作(つく)りました。かきもち・あられも干(ほ)すと、長(なが)く保存(ほぞん)ができたので、その年(とし)のこびる(おやつ)として長(なが)い間(あいだ)(た)べることができました。


 
  干(ほ)し大根(だいこん) と 干(ほ)しずいき

  かきもち、あられ

 

冷蔵庫(れいぞうこ)

 電気冷蔵庫(でんきれいぞうこ)が広(ひろ)まるまで、冷蔵庫(れいぞうこ)と言(い)えば、上(うえ)の段(だん)に氷(こおり)を入(い)れてその冷気(れいき)で、下(した)の段(だん)の食(た)べ物(もの)を冷(ひ)やす「氷(こおり)冷蔵庫(れいぞうこ)」でした。氷(こおり)冷蔵庫(れいぞうこ)は、高価(こうか)なもので、市内(しない)ではかぎられた家(いえ)にしかありませんでした。博物館(はくぶつかん)にある氷(こおり)冷蔵庫(れいぞうこ)は、木(き)で作(つく)られたもので、内(うち)がわにはトタン(金(きん)ぞく)がはられ、冷(つめ)たさをたもつしくみになっています。氷(こおり)冷蔵庫(れいぞうこ)がない家(いえ)では、井戸(いど)の中(なか)に食(た)べ物(もの)を吊(つ)るして冷(ひ)やしていました。



  氷冷蔵庫(こおりれいぞうこ)

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