こどもが着(き)るもの
昭和(しょうわ)はじめ(1926年(ねん))ころには、和服(わふく)を着(き)るこどもが多(おお)く、洋服(ようふく)はあまり着(き)られていませんでした。洋服(ようふく)で学校(がっこう)に行(い)く人(ひと)がいても、家(いえ)に帰(かえ)ると和服(わふく)に着(き)がえてすごしました。また和服(わふく)も手作(てづく)りが多(おお)く、母親(ははおや)の着(き)ものをもとに作(つく)ったものもありました。
1955年(ねん)(昭和(しょうわ)30年(ねん))ころになると、洋服(ようふく)を着(き)るこどもがとても多(おお)くなりました。体育(たいいく)の時(とき)には、「運動(うんどう)たび」という運動用(うんどうよう)のたびをはくこどももいました。
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1958年(ねん)(昭和(しょうわ)33年(ねん))の運動会(うんどうかい)(運動(うんどう)たび)
こどもが着(き)た「西洋前(せいようまえ)かけ」
このように、洋服(ようふく)がこどものふだん着(ぎ)として広(ひろ)まったのは、1955年(ねん)(昭和(しょうわ)30年(ねん))ころでしたが、もっと早(はや)いころに広(ひろ)まった洋服(ようふく)もありました。
それは「西洋前(せいようまえ)かけ」とよばれたエプロンの一種(いっしゅ)で、市内(しない)では、大正時代(たいしょうじだい)(1912〜1926年(ねん))や昭和(しょうわ)のはじめ(1926年(ねん))ころには使(つか)われてたことがわかっています。
ただし、「西洋前(せいようまえ)かけ」は小学校低学年(しょうがっこうていがくねん)くらいまでのこどもが和服(わふく)の上(うえ)に着(き)るもので、もともとは着(き)ものを汚(よご)さないようにするためのものでしたが、次第(しだい)に「よそいき」として着(き)られるようになりました。さらに洋服(ようふく)を着(き)るようになっても、その前(まえ)かけを着(つ)ける人(ひと)もいました。
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西洋前(せいようまえ)かけ