亀山こども歴史館トップページ むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらしなくなる

[むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし]1945年(ねん)〜1965年(ねん)(昭和(しょうわ)20年(ねん)〜40年(ねん))ころの市内(しない)では、どんな道具(どうぐ)を使(つか)って、どんなくらしをしていたでしょうか。

なくなる

 亡(な)くなると、ふとんの向(む)きをかえて亡(な)くなった人(ひと)のあたまが北(きた)の方(ほう)に向(む)くようにします。この時(とき)にあたまの近(ちか)くにご飯(はん)や団子(だんご)を供(そな)える家(いえ)もあります。
 墓場(はかば)で、そう式(しき)をしたり、亡(な)くなった人(ひと)を焼(や)いたりしたので、家(いえ)から墓場(はかば)までかんおけをはこぶための行列(ぎょうれつ)をすることがふつうでした。

 

ほうむる方法(ほうほう)

 亡(な)くなった人(ひと)をほうむる方法(ほうほう)としては、かんおけに入(い)れて土(つち)にうめる方法(ほうほう)と、かんおけに入(い)れて火(ひ)でやいて骨(ほね)だけにして墓石(はかいし)の下(した)に入(い)れる方法(ほうほう)がありました。市内(しない)では、やかずに土(つち)にうめる方法(ほうほう)が多(おお)かったようですが、だんだんと火(ひ)でやく方法(ほうほう)がひろまってきて、今(いま)では火(ひ)でやく方法(ほうほう)ばかりになっています。

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