くすりや
市内(しない)には、家(いえ)につたわるくすりを手(て)づくりして売(う)っていたくすりやがありましたが、今(いま)では1けんもなくなっています。市内(しない)に家(いえ)に伝(つた)わるくすりがどれくらいあったのかはわかっていませんが、野村(のむら)の高橋家(たかはしけ)の「龍心湯(りゅうしんとう)」、田茂(たも)の岩間家(いわまけ)の「脾肝圓(ひかんえん)」がしられています。これらのくすりは、ちいきの人(ひと)たちだけでなく、県外(けんがい)の人(ひと)たちもつかっていました。
「龍心湯(りゅうしんとう)」を作(つく)っていた高橋家(たかはしけ)は、亀山(かめやま)のとのさまであった石川家(いしかわけ)の家(か)しんでした。「龍心湯(りゅうしんとう)」のゆらいはさまざまにつたわっていますが、高橋家(たかはしけ)につたわる文書(ぶんしょ)などによると、むかしに「ふじせんげん神社(じんじゃ)」に行(い)った女(おんな)の人(ひと)が神(かみ)さまをかんじて、こどもを生(う)んだあとで、りゅう(へび)になってすがたをけしました。そのときにりゅうがこどもにのこした玉(たま)が「龍心湯(りゅうしんとう)」のざいりょうの1つとなり、そのこどもが高橋家(たかはしけ)の先(せん)ぞであったということです。

龍心湯(りゅうしんとう)のふくろ

脾肝圓(ひかんえん)のふくろ

![[むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし]1945年(ねん)〜1965年(ねん)(昭和(しょうわ)20年(ねん)〜40年(ねん))ころの市内(しない)では、どんな道具(どうぐ)を使(つか)って、どんなくらしをしていたでしょうか。](../../img/text_01.gif)














