亀山こども歴史館トップページ むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし花火屋(はなびや)

[むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし]1945年(ねん)〜1965年(ねん)(昭和(しょうわ)20年(ねん)〜40年(ねん))ころの市内(しない)では、どんな道具(どうぐ)を使(つか)って、どんなくらしをしていたでしょうか。

花火屋(はなびや)

(いま)、三重県(みえけん)には2けんの花火屋(はなびや)があります。そのうちの1けんが亀山市(かめやまし)の亀田町(かめだちょう)にある「伊藤(いとう)えんかこうぎょうかぶしき会社(がいしゃ)」です。ちいきの人々(ひとびと)は「伊藤(いとう)の花火屋(はなびや)」とよんでいます。
伊藤(いとう)の花火屋(はなびや)は、伊藤義一郎(いとうぎいちろう)が1907年(ねん)(明治(めいじ)40年(ねん))にはじめ、今(いま)は4代目(だいめ)や5代目(だいめ)がかつやくしています。伊藤(いとう)の花火屋(はなびや)がはじまるころより少(すこ)し前(まえ)は、だれでも花火(はなび)をつくってよい時代(じだい)だったので、亀山(かめやま)あたりでもたくさんの人(ひと)がしゅみで花火(はなび)をつくっていたようです。
つくり方(かた)は、@火薬(かやく)に色(いろ)を出(だ)すためのきんぞくのこなをまぜて、かんばいこ(もちを焼(や)いてこなにしたもの)をいれてねる、A「しん」とよばれる5ミリ四方(しほう)のはこ形(がた)のものに、火薬(かやく)をうすくつけてすこしずつ丸(まる)く大(おお)きくしていく。こうして作(つく)ったものを「ほし」とよぶ、B「わりやく」をつくる。「わりやく」は、花火(はなび)の玉(たま)を空(そら)へうちあげるためのばくはつ力(りょく)のつよい火薬(かやく)のこと、C半分(はんぶん)になっている玉(たま)の「かわ」の中(なか)に「ほし」や「わりやく」を玉(たま)につめる。片方(かたほう)には、火(ひ)をつけるためのどうかせんを入れる、D「ほし」や「わりやく」をつめた半分(はんぶん)の玉(たま)どうしを合(あ)わせて1つの玉(たま)にする、Eテープを何重(なんじゅう)にもはってかわかして完成(かんせい)となります。


  花火(はなび)の中(なか)のもけい


  半分(はんぶん)の玉(たま)に火薬(かやく)を入(い)れる


  半分(はんぶん)の玉(たま)をどうしをくっつける


  テープを何重(なんじゅう)にもはってかわかします

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