亀山こども歴史館トップページ むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし農業(のうぎょう)(こめ作(づく)り、むぎ作(づく)り、そのほか)

[むかしの道具(どうぐ)と人々(ひとびと)のくらし]1945年(ねん)〜1965年(ねん)(昭和(しょうわ)20年(ねん)〜40年(ねん))ころの市内(しない)では、どんな道具(どうぐ)を使(つか)って、どんなくらしをしていたでしょうか。

農業(のうぎょう)(こめ作(づく)り、むぎ作(づく)り、そのほか)

 1965年(ねん)(昭和(しょうわ)40年(ねん))ころまでは、農業(のうぎょう)をしごとにしている人(ひと)がとても多(おお)くいました。米(こめ)、むぎ、野菜(やさい)などを作(つく)り、自分(じぶん)の家(いえ)で食(た)べるものも作(つく)っていました。「こううんき」などのきかいが広(ひろ)まっていなかったころには、人(ひと)や牛(うし)の力(ちから)をつかって田畑(たはた)をたがやしました。人(ひと)がたがやす時(とき)には、「くわ」を使(つか)い、牛(うし)でたがやす時(とき)には「からすき」などを使(つか)いました。



  くわ(左)とからすき(右)

 

つくったさくもつ

 農業(のうぎょう)の中心(ちゅうしん)になっていたのは、米(こめ)をつくる稲作(いなさく)でした。稲(いね)の苗(なえ)を田(た)んぼに植(う)える「田植(たう)え」、田植(たう)えのあとの「草取(くさと)り」、稲(いね)がみのってからの「稲(いね)かり」など、たくさんの作業(さぎょう)がありました。
 また、むぎは稲(いね)かりがすんだ後(あと)の田(た)んぼや畑(はたけ)で作(つく)られました。うどんなどの材料(ざいりょう)となるこむぎも作(つく)っていましたが、より多(おお)く作(つく)ったのはおおむぎ・はだかむぎとよばれるものでした。おおむぎ・はだかむぎと米(こめ)をまぜてご飯(はん)をたくことで、大切(たいせつ)な米(こめ)が少(すく)なくてもすむようにしていました。
 さらに、自分(じぶん)の家(いえ)で食(た)べるためのさつまいも・さといも・だいず・だいこんなどの野菜(やさい)もよく作(つく)られていました。

ページの先頭(せんとう)に戻(もど)る
  • 亀山市歴史博物館(かめやましれきしはくぶつかん)
  • 亀山市史(かめやましし)
  • 亀山市(かめやまし)ホームページ
  • 日本博物館協会(にほんはくぶつかんきょうかい)
  • 三重県博物館協会(みえけんはくぶつかんきょうかい)