室町時代(むろまちじだい)の旅人(たびびと)
室町時代(むろまちじだい)になると、室町将軍(むろまちしょうぐん)が伊勢神宮(いせじんぐう)へ行(い)くときのようすや、関氏(せきし)などからまねかれた連歌師(れんがし)などが、亀山(かめやま)などのようすを紀行文(きこうぶん)や日記(にっき)に書(か)き残(のこ)しています。
宗長(そうちょう)
1522年(ねん)(大永(たいえい)2年(ねん))、1524年(ねん)(大永(たいえい)4年(ねん))、1527年(ねん)(大永(たいえい)7年(ねん))に関盛貞(せきもりさだ)のまねきで亀山(かめやま)を訪(おとず)れています。亀山(かめやま)の町(まち)や正法寺山荘(しょうぼうじさんそう)のようすをくわしく日記(にっき)に書(か)き残(のこ)しています。

正法寺山荘跡(しょうぼうじさんそうあと)
飛鳥井雅康(あすかいまさやす)
飛鳥井雅康(あすかいまさやす)(1436〜1509)が、1499年(ねん)(明応(めいおう)9年(ねん))に富士山(ふじさん)を見(み)に行(い)った時(とき)に、関盛貞(せきもりさだ)の館(やかた)にとまったようすを書(か)き残(のこ)しています。
冷泉為広(れいぜいためひろ)
冷泉為広(れいぜいためひろ)が、1513年(ねん)(永正(えいしょう)10年(ねん))に駿河国(するがのくに)(静岡県(しずおかけん)中部(ちゅうぶ))に向(む)かう旅(たび)の途中(とちゅう)で、「亀山(かめやま)」に立(た)ち寄(よ)っています。
里村紹巴(さとむらじょうは)
連歌師(れんがし)里村招巴(さとむらじょうは)(1525〜1602)が、1567年(ねん)(永禄(えいろく)10年(ねん))に富士山(ふじさん)を見(み)にゆく途中(とちゅう)で関(せき)・亀山(かめやま)にたちよっています。えぞ桜(ざくら)や正法寺山荘(しょうぼうじさんそう)をおとずれています。
山科言継(やましなときつぐ)
公家(くげ)で歌人(かじん)でもある山科言継(やましなときつぐ)(1507〜1579)が、1557年(ねん)(弘治(こうじ)3年(ねん))に、高野尾(たかのお)(津市(つし))から昼生(ひるお)を通(とお)って亀山(かめやま)に泊(と)まっています。また、1558年(ねん)(永禄(えいろく)元年(がんねん))には土山(つちやま)(滋賀県(しがけん)甲賀市(こうかし))から鈴鹿峠(すずかとうげ)をこえて坂下(さかした)(関町坂下(せきちょうさかした))の大竹屋(おおたけや)にとまっています。

東海道名所図会(とうかいどうめいしょずえ)『坂下宿(さかしたしゅく)大竹屋(おおたけや)本陣(ほんじん)の賑(にぎ)わい』
足利義持(あしかがよしもち)
室町幕府(むろまちばくふ)第(だい)4代(だい)将軍(しょうぐん)で、1418年(ねん)(応永(おうえい)25年(ねん))、1424年(ねん)(応永(おうえい)31年(ねん))に、鈴鹿峠(すずかとうげ)を越(こ)えて伊勢神宮(いせじんぐう)を訪(おとず)れています。
足利義教(あしかがよしのり)
室町幕府(むろまちばくふ)第(だい)6代(だい)将軍(しょうぐん)で、1433年(ねん)(永享(えいきょう)5年(ねん))に鈴鹿峠(すずかとうげ)を越(こ)えて伊勢神宮(いせじんぐう)を訪(おとず)れています。

![[古典(こてん)に出(で)てくる亀山(かめやま)]むかしから、たくさんの人々(ひとびと)が行(ゆ)き来(き)する亀山(かめやま)には、旅人(たびびと)が見(み)たり、聞(き)いたりしたことが歌(うた)や日記(にっき)などさまざまな文学作品(ぶんがくさくひん)の中(なか)にとりあげられてきました。](../img/text_01.gif)














