亀山こども歴史館トップページ 古典(こてん)に出(で)てくる亀山古代(こだい)の旅人(たびびと)

[古典(こてん)に出(で)てくる亀山(かめやま)]むかしから、たくさんの人々(ひとびと)が行(ゆ)き来(き)する亀山(かめやま)には、旅人(たびびと)が見(み)たり、聞(き)いたりしたことが歌(うた)や日記(にっき)などさまざまな文学作品(ぶんがくさくひん)の中(なか)にとりあげられてきました。

古代(こだい)の旅人(たびびと)

奈良時代(ならじだい)以前(いぜん)からさまざまな旅人(たびびと)がこの地域(ちいき)を通(とお)ってゆきました。伝説(でんせつ)の人物(じんぶつ)もいますが、古代(こだい)から重要(じゅうよう)な道(みち)があったからこそ、伝説上(でんせつじょう)の人物(じんぶつ)がこの地域(ちいき)を通(とお)った話(はなし)もうまれたのでしょう。

 

ヤマトタケル

天皇(てんのう)の命令(めいれい)を受(う)けて、東日本(ひがしにほん)への戦(たたか)いを終(お)えて、故郷(こきょう)の大和(やまと)へ帰(かえ)る途中(とちゅう)、ノボノでなくなっています。

 

ヤマトヒメ

伊勢神宮(いせじんぐう)をおまつりするのにふさわしい場所(ばしょ)を探(さが)して旅(たび)をする途中(とちゅう)、半年間(はんとしかん)このちにとどまっていました。ヤマトヒメがとどまっていたあとが忍山神社(おしやまじんじゃ)となったと伝(つた)えられます。

 

大海人皇子(おおあまのおうじ)

672年(ねん)、天皇(てんのう)のあとつぎをめぐる戦(たたか)い(壬申(じんしん)の乱(らん))の時(とき)、美濃国(みののくに)(岐阜県(ぎふけん))で兵(へい)を集(あつ)めるために、大海人皇子(おおあまのおうじ)とそのきさきであるウノノササラヒメが加太(かぶと)から関(せき)をとおってゆきました。戦(たたか)いに勝(か)った大海人皇子(おおあまのおうじ)とウノノササラヒメは天武天皇(てんむてんのう)、持統天皇(じとうてんのう)となり、律令(りつりょう)を中心(ちゅうしん)とした国(くに)づくりを進(すす)めました。

 

聖武天皇(しょうむてんのう)

740年(ねん)(天平(てんぴょう)12年(ねん))、聖武天皇(しょうむてんのう)は突然(とつぜん)、平城宮(へいじょうきゅう)から東(ひがし)の国々(くにぐに)をめぐる旅(たび)にでます。このとき、赤坂頓宮(あかさかとんぐう)(関町木崎(せきちょうこざき)ふきんか)に9日間(かかん)とどまっています。この旅(たび)を終(お)えて新(あたら)しくつくった都(みやこ)(恭仁京(くにきょう):京都府(きょうとふ)木津川市(きづがわし))へうつり、仏教(ぶっきょう)を中心(ちゅうしん)とした国(くに)づくりをすすめます。


 赤坂頓宮跡(あかさかとんぐうあと)

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