亀山こども歴史館トップページ 亀山(かめやま)のいいとこさがし 顕彰碑(けんしょうひ)

[亀山(かめやま)のいいとこさがし]亀山市(かめやまし)には、よその人(ひと)たちにも教(おし)えてあげたいような「いいところ」がたくさんあります。これらは、豊(ゆた)かな自然(しぜん)の中(なか)で、むかしから現在(げんざい)までの人(ひと)たちのくらしの中(なか)でつみ重(かさ)ねられてきたものばかりです。さあ、亀山市(かめやまし)にはどんな「いいところ」があるのかさがしてみましょう。

顕彰碑(けんしょうひ)

保田(やすだ)先生(せんせい)殉職碑(じゅんしょくひ)

昭和(しょうわ)17年(ねん)7月(がつ)22日(にち)、昼生(ひるお)国民学校(こくみんがっこう)(昼生小学校(ひるおしょうがっこう)の前身(ぜんしん))前(まえ)の中(なか)ノ川(かわ)で水浴中(すいよくちゅう)の生徒(せいと)数名(すうめい)が深(ふか)みにはまりました。生徒(せいと)たちを引率(いんそつ)していた保田清子(やすだきよこ)先生(せんせい)(21歳(さい))は、着(き)の身(み)(き)のまま川(かわ)に飛(と)び込(こ)み2名(めい)を救出(きゅうしゅつ)しましたが、もう1名(めい)の生徒(せいと)とともに水中(すいちゅう)に沈(しず)んでゆきました。まもなく先生(せんせい)とおぼれた生徒(せいと)は水中(すいちゅう)から引(ひ)き上(あ)げられましたが、蘇生術(そせいじゅつ)の甲斐(かい)なく死亡(しぼう)が確認(かくにん)されました。生徒(せいと)を救(すく)うため殉職(じゅんしょく)した保田(やすだ)先生(せんせい)を顕彰(けんしょう)して、鈴鹿郡(すずかぐん)教員協会(きょういんきょうかい)によって翌年(よくねん)の7月(がつ)に「保田(やすだ)教諭(きょうゆ)殉職之地碑(じゅんしょくのちのひ)」が事件現場(じけんげんば)に建立(こんりゅう)されました。また、顕彰碑(けんしょうひ)は保田(やすだ)先生(せんせい)の母校(ぼこう)である女子青年学校(じょしせいねんがっこう)教員養成所(きょういんようせいじょ)(鈴鹿(すずか)女子師範学校(じょししはんがっこう):現在(げんざい)の亀山東小学校(かめやまひがししょうがっこう)校地(こうち))内(ない)に建立(こんりゅう)されました。

ページの先頭(せんとう)に戻(もど)る
  • 亀山市歴史博物館(かめやましれきしはくぶつかん)
  • 亀山市史(かめやましし)
  • 亀山市(かめやまし)ホームページ
  • 日本博物館協会(にほんはくぶつかんきょうかい)
  • 三重県博物館協会(みえけんはくぶつかんきょうかい)