鈴鹿馬子唄(すずかまごうた)
鈴鹿峠(すずかとうげ)を越(こ)える馬子(まご)たちの間(あいだ)でいつしか歌(うた)われ始(はじ)め、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の浄瑠璃(じょうるり)などにより広(ひろ)く全国(ぜんこく)に知(し)れ渡(わた)ってゆきました。
『坂(さか)は照(て)る照(て)る鈴鹿(すずか)は曇(くも)る あいの土山(つちやま)雨(あめ)が降(ふ)る坂下(さかした)では大竹(おおたけ)小竹(こたけ) 宿(やど)がとりたや小竹屋(こたけや)に関(せき)の小万(こまん)が亀山(かめやま)通(かよ)い月(つき)に雪駄(せった)が二十五足(にじゅうごそく)』