琴(こと)の橋(はし)
かつて天皇家(てんのうけ)の宝物(たからもの)のひとつに和琴(わきん)の「鈴鹿(すずか)」がありました。和琴(わきん)とは古(ふる)くから日本(にほん)で使(つか)われていた形(かたち)の琴(こと)のことです。この琴(こと)は鈴鹿川(すずかがわ)にかかっていた橋(はし)の板(いた)が桐(きり)の木(き)で、その桐(きり)の板(いた)でつくられたことから「鈴鹿(すずか)」とよばれました。『平家物語(へいけものがたり)』にも登場(とうじょう)していますが650年(ねん)ほど前(まえ)にはゆくえがわからなくなっています。平安時代(へいあんじだい)の歌人(かじん)である藤原俊成(ふじわらのとしなり)が「鈴鹿川(すずかがわ)桐(きり)の古木(こぼく)の丸木橋(まるきばし)これもや琴(こと)の音(ね)に通(かよ)うらん」と歌(うた)によんでいます。この橋(はし)は、坂下古町(さかしたふるまち)(関町坂下(せきちょうさかした))にかかる小橋(こばし)であるといわれていますが、地蔵院東(じぞういんひがし)(関町中町(せきちょうなかまち))のお虎川(とらがわ)にかかる小橋(こばし)とする説(せつ)もあります。