羽柴秀吉(はしばひでよし)と橋板(はしいた)
1583年(ねん)(天正(てんしょう)11年(ねん))2月(がつ)、羽柴秀吉(はしばひでよし)(のちの豊臣秀吉(とよとみひでよし))は、亀山城(かめやまじょう)や峯城(みねじょう)をせめるために大軍(たいぐん)を率(ひき)いて安楽峠(あんらくとうげ)をこえてこの地域(ちいき)にせめこんできました。このとき、羽柴秀吉(はしばひでよし)は辺法寺(へんぼうじ)(辺法寺町(へんぼうじちょう))の不動院(ふどういん)の本尊(ほんぞん)である不動明王(ふどうみょうおう)をたたきこわして板(いた)にして、それを橋板(はしいた)にして寺(てら)の前(まえ)の小川(おがわ)を渡(わた)ったと言(い)います。今(いま)でも橋板(はしいた)にされた仏像(ぶつぞう)の一部(いちぶ)が不動院(ふどういん)にはのこされています。