柿(かき)の木(き)名号(みょうごう)
東町(ひがしまち)の法因寺(ほういんじ)は、もとは普門院(ふもんいん)という真言宗(しんごんしゅう)の寺(てら)でしたが、500年(ねん)ほど前(まえ)に浄土真宗(じょうどしんしゅう)の蓮如上人(れんにょしょうにん)がしばらく滞在(たいざい)し、自(みずか)ら「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と大(おお)きく書(か)いた名号(みょうごう)の軸(じく)を本尊(ほんぞん)として寺(てら)に贈(おく)りました。これより法因寺(ほういんじ)となったと伝(つた)えられます。1547年(ねん)(天正(てんしょう)2年(ねん))4月(がつ)9日(にち)の夜(よる)に火事(かじ)が起(お)こり、本堂(ほんどう)は焼(や)け落(お)ちてしまいました。ところが、名号(みょうごう)の軸(じく)のうち蓮如(れんにょ)が書(か)いたところだけは火(ひ)の中(なか)から飛(と)び出(で)て本堂裏(ほんどううら)の柿(かき)の木(き)にひっかかっていました。それから、この軸(じく)のことを「柿(かき)の木(き)の名号(みょうごう)」とよび寺(てら)の宝(たから)としました。