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1.結婚相手が決まるまで

 昭和25年(1950年)頃までは「トコロドウシ」(集落内の家同士)や「イトコドウシ」の結婚相手が多く、親が勝手に相手を決めてしまい、見合いも行わずに結婚することも少なくありませんでした。
 また、式には呼ばれない「下仲人(したなこうど)」が縁談を取り持ったり、仲人の立会の元で見合いや「茶飲み」をして相手を決めることもありました。
 太平洋戦争下では、市域でも大政翼賛会(たいせいよくさんかい)と大日本婦人会による結婚相談部が開設されましたが、実際にどれほどの利用があったのかは、わかっていません。


1−1.「結婚相談所開設ノ件」
(個人所蔵 亀山市歴史博物館寄託)

 昭和18年(1943年)に大政翼賛会亀山町支部長から各大字の総代あてに配布された文書です。太平洋戦争の戦況が悪くなる中、「適正年令の結婚奨励」のために「別紙結婚相談のご案内」の回覧を依頼しています。
1−2.「結婚相談のご案内」
(個人所蔵 亀山市歴史博物館寄託)

 昭和18年の大政翼賛会・大日本婦人会の鈴鹿郡支部回覧版として発行された文書です。戦時下の「人口国策」に協力するために「結婚相談部」を開設して相談に応じる旨などが記されています。先にみた「結婚相談所開設ノ件」の「別紙結婚相談のご案内の印刷物」は、この文書を指すと考えられます。
1−3.「女子結婚斡旋申込書」
(亀山市歴史博物館所蔵 坂下民芸館資料)

 大政翼賛会と大日本婦人会がおこなった結婚相談の申込書です。これは「昭和19年度婦人会関係書類 大日本婦人会坂下村支部」にとじられており、同冊子に「男子結婚斡旋申込書」もとじられています。戦時下の結婚相談所(部)より以前に、市域ではこのような組織は確認されていません。

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1−4.写真交換に使った写真
(個人所蔵)

 所蔵者が、その結婚(昭和12年(1937年))に際して相手と交換した写真です。当時はまだカメラが普及しておらず、華道の集まりでの記念写真を使ったことがうかがえます。



    

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