民俗トップ八 「年中行事」(二)春と夏の行事
12「天王さん」(「祇園さん」)


  12「天王(てんのう)さん」(「祇園(ぎおん)さん」)
 「天王さん」は牛頭天王であり、行疫神・除疫神とされている。京都市の八坂神社(祇園社)の祭神として有名であるが、市域で祀られている「天王さん」は愛知県津島市の津島神社から勧請(かんじょう)したものが多く確認され、八坂神社から勧請したという伝承はない。ただし、関町萩原のように、津島神社に由来するとされながら、「祇園さん」と呼ぶところもある。祭日は七月十四日や前後の日曜日、または七月二十日(辺法寺町など)である。
 天王さんの行事は、石塔・祠の前で行う場合と、氏神で行う場合、その両方で行う場合があり、ムラによって異なる。石塔・祠や氏神の前に提燈(ちょうちん)を掛ける縄を張り、供物を供える[写真 1・2・3・4]
 夕方になると、浴衣を着た子供たちが赤い提燈やイモ・きゅうりをくりぬいた提燈を持ってお参りした[写真 5・6]。お参りに持って行く提燈は毎年新調していた。天王さんに参ると、病気にならないとされた。昼生地区の三寺町では天王さんは水の神様ともいわれ、川の曲がり角に祀られていたと言われている。
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  [写真1] 天王さん(辺法寺町)
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  [写真2] 天王さん(辺法寺町)
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  [写真3] 天王さん(辺法寺町)
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    [写真4] 天王さん(羽若町)
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   [写真5] 天王さん(下庄町神向谷)
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  [写真6] 天王さん(下庄町本郷)
 お参りの後に子供たちは花火などをして遊び、大人たちは祠の近くや公民館などに集まって用意した肴で酒を飲むところもある[写真 7・8・9・10]。家々ではドッカン団子を作って食べた。羽若町ではキュウリなどの野菜や団子を供える一方で、この日はキュウリの塩もみ・酢の物を食べてはいけないとされている[写真 11]
 旧関町域では、天王さんを祀るところは少なくなり、その伝承が確認されなかったところも多い。関町久我では七十年ほど前までは天王さんの祭りを行っていた。関町萩原では現在も祇園さんの行事を安芸神社(跡)で続けている(昭和二十五、六年頃にはテンノウサンという場所に小さな祠が寺の東にあった)。加太地域では、「祇園さん」の行事が現在も行われている。かつては、子供たちが小さい提灯を持って、川俣神社にお参りしていた。今では神社が提灯を用意して子供たちに配り、流しそうめんの催しが行われている。
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  [写真7] 天王さんのそばで花火(辺法寺
  町)
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   [写真8] 天王さんの前で宴(辺法寺町)
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  [写真9] 天王さんの前で宴(辺法寺町)
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  [写真10] 天王さんの前で宴(辺法寺町)
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   [写真11] 天王さんに供えたキュウリや
  ナス(羽若町)


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<調査事例>
[亀山地区]
1.和賀町・大正十一年(一九二二)生・男性他

 七月十四日には、天王さんの行事が行われる。子供(少ないので大人も一緒に)が提灯に灯をともし、三ヶ所の天王さんを順番にまわり、お参りする。天王さんは津島神社由来で和賀の東、真ん中、西の各入口にある。祠の中に津島神社で受けたお札がある。三ヶ所とも同型の石の祠に立て替えた。年二回のご祈祷の札を祠のそばに立てる。
2.菅内町・大正四年(一九一五)生・男性他
 天王さんの行事は、七月十四日前後の日曜日に行われる。長瀬神社の行事で地区に祠はない。子供が提灯を持って神社に行き、祭り用に作った提灯掛けにかける。提灯は持ち帰る。この行事には「病気にならないように」という意味がある。以前は、大人も参加して、イバラ餅を食べた。
3.羽若町・大正十四年(一九二五)生・男性他
 天王さんの行事は、七月十四日(旧六月十四日)に現在でも行われている。天王さん(津島神社。五ヶ所の天王さんには五輪塔の部品をまつる辻天王も含まれる)には、各々をまつる人々が提灯を飾り、その近くで飲食する。天王さんにキュウリなどの野菜・どっかん団子を供える。この日はキュウリの塩もみ・酢の物などを食べてはいけないとされる。
[昼生地区]
4.下庄町弘法寺・大正三年(一九一四)生・女性他

 七月十四日に天王さんの行事が行われる。十四日の夕方に、子供が親と一緒に新しい浴衣を着て小さい提灯をさげ、「天王(テンノン)さん」の社の縄に提灯を吊るしておまいりする。提灯は家に持ち帰り処分する。大人は、弘法寺に集まり重箱につめた肴をつまみお酒を飲む。十五日が本日(ホンビ)。
5.下庄町本郷・昭和五年(一九三〇)生・女性他
 七月十四日に、天王さんに子供らが赤い提灯を持って行き、天王さんの前に提灯をかけてお参りする。提灯は毎年新しいものを購入する。お参りする天王さんは組ごとに決まっている。自分が子供の頃は、公民館の天王さんに参った後、別の天王さんに参ってから、橋の辺りで花火をして、最後に西蓮寺の裏の天王さんへお参りして帰った。
 自分が子供の頃は、天王さんになると新しい浴衣を買ってもらえるので、うれしかった。
[川崎地区]
6.長明寺町・大正十四年(一九二五)生・男性他

 天王さんの行事は、七月十四日頃に行ったが今はない。天王さんの祠はなかった。各家で「子供が元気に育つように」とカキモチ、アラレを食べた。この行事をしない家もあった。
7.川崎町徳原・昭和三年(一九二八)生・男性他
 天王さんの行事は、今は行われていないが、七月十四日に行われていた。津島神社に由来し、この日の朝に津島神社へ代参した者が帰宅し、行事が行われた。子供は家で提灯に火を灯して、天王さんの祠へ行った。祠前のかがり火で提灯は燃やした。
[野登地区]
8.両尾町原尾・大正十二年(一九二三)生・女性他

 天王さんの行事は七月二十日で、夕闇の頃、子供たちは提灯に火を入れ常夜灯にささげに行く。提灯の代用としてきゅうりをくり抜いて火を入れたときもあった。家庭ではドウカン(団子)を作る。
9.両尾町原尾河内・昭和二年(一九二七)生・男性
 天王さんの行事は、七月二十日に行う。百姓の神様といわれていると聞いた。昭和三十三年頃まで、東光寺のキドを上がった所に地蔵のような石があった。大人も子供も小さい提灯を持って行ってそこに吊り、拝んでから帰った。
[井田川地区]
10.井田川町・大正十四年(一九二五)生・男性

 天王さんの行事は、七月十四日に行われていた。小学六年生頃になると、イモをくりぬいて作った提灯も持って若一神社におまいりし、ロウソクだけあげて提灯は持ち帰った。戦前からなくなった。
11.和田町・大正五年(一九一六)生・男性
 天王さんの行事は、七月十四日に今でも行われている。和田神社では、午前十時からお参りがある。夕方に、子供が「子供提灯」を持って神社の提灯かけにかけてお参りする。お菓子をもらい、提灯は家に持ち帰る。八時三十分まで、宮守さんがいて守りをする。
[関地区]
 12.関町久我・昭和四年(一九二九)生・男性

 テンノウサン(天王さん)の跡が残っている。灯をともす「燈明番」があった。七十年ほど前には祭りがあった。
13.関町萩原・昭和十四年(一九三九)生・男性
 ギオンサン(祇園さん)は、七月十四日に神社で行われている。津島神社に由来する。お神酒などを供える。子供が提燈を持っておまいりすることは、行われていない。
 テンノウサンと言う場所が、寺の東にあった。昭和二十五、六年頃までは、小さい社の跡が残っていて遊び場所になっていた。
14.加太板屋・大正十三年(一九二四)生・男性
 七月には、ギオンサン(祇園さん)が行われている。かつては、子供たちが小さい提灯を持って、川俣神社におまいりしていた。現在は、子供の数が少なくなり、神社が提灯を用意して子供たちに配っている。この日には、そうめん流しの催しも行われている。
15.加太北在家・昭和九年(一九三四)生・男性
 ギオンサン(祇園さん)は、二十年前まで行事があった。子供達は、川俣神社に提燈を持っておまいりした。

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