亀山市立亀山南小学校5・6年生出前授業
「72年前のくらし」
〜戦時中、どうやってくらしていたの?〜
平成29年8月9日(水)に亀山市立亀山南小学校へ出前授業に行きました。
5、6年生を対象に、戦時中亀山ではどんなくらしをしていたのか、館蔵資料を使って授業を行いました。
授業前から資料に興味津々 | 歴史博物館から来ました、よろしく |
<出征>
出征時の写真から気づいたことは? | 武運長久を願った寄せ書き |
亀山南小学校区に残る見送り旗 | 女の人が1つずつ糸で縫いとめました |
出征する人をどうやって送り出したのか、画像を見ながら問いかけたり、実物資料を見せながら説明をしたりしました。天神の中村地区には出征する人を見送るための旗が残っています。児童たちは、身近な地域にこの旗が残っていたことを知り驚いていました。家族や地域の人たちは、この旗を持って亀山駅まで見送ったそうです。 |
<人びとのくらし〜衣・食・住〜>
出征していない人の服装は? | 貝製穴じゃくし「ちゃんと穴があいている」 |
「枕?」いいえ、陶製湯たんぽだよ | 外に光が漏れないのがルール |
実物資料を示しながら、出征していない人々のくらしについて話しました。国が各家から金属を集めるようになり、代用品として作られた陶製ボタンや貝製穴じゃくしに驚く先生や児童たちでした。「お寺の鐘も出したんだよね」と話す児童もいました。 |
<人びとのくらし〜学校では・・・〜>
銃剣術の訓練に使った木銃 | 訓練用手榴弾、「思ったより軽い」 |
運動場を畑にしたよ | 1学期だけ成績がついていないね |
軍事教練や畑仕事をしている様子が分かる写真を示しながら説明をしました。また、昭和20年の通知表には1学期の成績がついていませんでした。なぜ成績がついていないかを問いかけて考えさせる中で、戦争が激しくなり、成績をつける状況ではなかったことが分かっていきました。
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<列車銃撃事件>
昭和20年8月2日に起こりました | P51から実際に打ち込まれた薬莢 |
亀山で唯一大きな被害が出たのが列車銃撃事件でした。その場所が校区の天神にあることから、児童たちはこれまでにも話を聞いたことがあるようでした。この日は、画像や新聞から2機のP51の飛行ルートを知ったり、その当時の様子を聞いたりして、もう少し詳しい内容を知ることができたのではないでしょうか。 |
<提示資料>
日の丸寄せ書き、徴用赤たすき、中村区見送旗、千人針、千人力、国民服・帽子、鉄かぶと、防空頭巾、もんぺ、陶製ボタン、貝製穴じゃくし、陶製湯たんぽ、防空電球、灯火管制電球カバー、木銃、訓練用手榴弾、通知表、列車銃撃薬莢
<画像資料>
出征のようす2枚、軍事教練、勤労奉仕、列車銃撃時のP51飛行ルート、伊勢新聞(昭和20年8月3日)
<歴博貸出ユニット>
A−11「戦争中の人々のくらし」防空頭巾、もんぺ