亀山市立亀山南小学校4年生社会科出前授業
「地いきにつくした人びと〜田をひらく〜」
平成26年2月28日(金)亀山市立亀山南小学校4年生へ出前授業に行きました。
「地域につくした人々について、田んぼに焦点を置いて考えていきましょう。」と投げかけ、授業がスタートしました。
<校区の題目塔>
校区にあるものですが、見たことのある子は一人だけでした。 京都に住んでいるお金持ちの商人、谷口甚右衛門さんが、元禄13年(1700年)11月23日に建てたものです。 他に関町や和田町にも建てています。 |
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<天神2丁目にある題目塔> |
<田んぼの始まり>
網中遺跡(辺法寺町)の発掘で見つかった 2000年くらい前の壷のかけらです。 「えー、そんなにきれいなん?」 「何に使ったんだろうね?」 | |
<壷のかけらです> | |
川崎で見つかった2000年くらい前の壷です。 来年のために米(籾)をしまっておく壷なんです。 「よく見てごらん。」 「さっきの壷のかけらと同じ模様があるね。」 |
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<同じ模様だ> |
1000年くらい前に作った田んぼの跡が網中遺跡で見つかりました。 谷の一番底を平らにし、そこに水を入れて小さい田がスタートしました。最初の田の大きさを模造紙で示すと、子どもたちは「小さい!」と驚きの声をあげました。 「この田んぼの大きさで、1年間食べられる?」 「食べられない。」 | |
<最初の田の大きさ 88p×94p> | |
田が狭いと米のとれる量が少ないです。少しずつ土を入れて田んぼを広げていきました。 「階段みたいや。」 そして、長い時間をかけて少しずつ埋めていき、大きな田にしていきました。 |
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<少しずつ大きくしていったよ> |
なぜ足跡が残ったか。 田んぼで作業をした後に洪水が起こり、田に砂が入ったため、足跡の部分にも砂がたまったのです。人々はその上に土を置いてまた田にしました。だから発掘して土を取ったら、砂の層があり、こんな足跡が出てきたのです。 見つかったたくさんの足跡から、田植えをした苗の列に沿って歩いているので田んぼの草取りをしているのだろう、向きが変わっているのはそこにあぜがあったんだろうといろいろ考えられることを伝えました。 |
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<600年前の足跡 22.5p> |
段になった田の様子や足跡から、やっぱり田んぼだと言うことが分かりました。
田を広げるのに1000年くらいかかり、何百何千という人がそれに関わってきたけれど、その人たちの名前は分かりません。これらの人たちも地域につくした人々なのですが、誰だとはっきり言えるものではないのです。
その土地に暮らしてきた人が、"どうしたら地域が良くなるか""自分にできることは何か"と考え行動してくれたことが、結局は地域につくすことになっているのです。
題目塔や石碑など身近なものに目を向け、"なぜ建てたのかな"と考えたり、自分で調べたり人に話を聞いたりすることが、地域につくした人を勉強する第一歩になることを話して授業は終わりました。
<さわってみよう>
<この破片はこの部分だね> | <本当、足跡だね> |
生徒たちの感想
- 田んぼが1000年以上も前からあるなんてすごいなと思いました。最初はすごく小さかったのに、だんだんの方法で田んぼがたくさんできることがすごいと思いました。私は棚田を見たことがないので実際に見に行きたいです。
- この前は歴史のことを教えてくださってありがとうございました。私は"いつ田んぼができたのか"あまり考えたことはありませんでした。でもいろいろ教えてくださったおかげで、歴史のことをいろいろ知ることができました。あと、2000年前の米を入れる壷、昔の足跡など見せてくださったので、私は夢中になりました。
- 田んぼのことが分かったり、2000年前の壷を触ったりしてとても楽しかったです。この授業を受けて歴史にちょっと興味をもちました。また、機会があったらぜひ南小学校に来てください。
- 昔の人はいろいろ考えて地域を発展させていったんだなと思いました。私はあまり昔の人のことを考えたことがなかったので、授業をしているときに知らないことが多かったです。でも、出前授業で知らなかったことがわかりました。田んぼで働いていた人の足跡が残っていたという話が出たときはびっくりしました。田んぼの作り方もすごい作り方だなと思いました。昔のことがよく分かって良かったです。
提示資料
<実物資料>
・ 弥生土器(壺:網中遺跡・地蔵僧遺跡)
・ 中世水田跡足跡石膏型(網中遺跡)
<映像資料>
・ 谷口甚右衛門題目塔(天神2丁目)
・ 谷口法悦題目塔(川合町)
・ 題目道標(関町新所)