昼生小学校6年生 総合的な学習出前授業
「昼生の歴史の探し方」
平成25年6月7日(木)に、昼生小学校で「昼生の歴史の探し方」をテーマに出前授業(対象18名、時間90分)を行いました。
社会科で学習した内容と自分たちの暮らしている亀山市や昼生地区の歴史と結びつけて考えるため、社会科の教科書も何度か振り返りながら進みました。また、歴史博物館が多数所蔵している土器などの資料を間近に見て、触って、頭をやわらかくして考える授業でした。
<いきなりクイズです>
○昼生の歴史に関係が無いものは?
Q1 A織田信長 ― B徳川家康Q2 A渋谷 ― B新宿
いきなりクイズから始まった授業。「Aかな?」「Bかな?」「わからへん」と楽しく考えたり、歴史上の人物や遠く離れた土地が昼生とつながっていることに驚いたりしながら、きらきらした目で授業に取り組んでいました。
○やわらかい脳みそにしてみよう
Q1 (金づち1本の絵を見て)これが埋まっていたところに住んでいた人はどんな人かな?
子どもたちは「大工さん」と答えました。でも、「みんなの家にはない?」の問いかけで、大工さんに限らず、大人も子どもも、男の人も女の人も使うことに気づいていきました。その後、たくさんの金づちの絵、鋸などが加わった絵などを示し、資料をよく見て考えることの大切さを意識させていきました。
<何コレ?>
<煙管・紅皿などを見て考えています> |
光於堂遺跡出土品を実際に見て、触って、においをかいで何に使われたものなのか、みんなで考えていきました。 「お皿かなあ」「お猪口」「ふた」「お金」「硬いね」 「ポテトチップスのコンソメ味のにおいだね。」 |
<これ全部ここから出てきたの?> |
休み時間にはみんなが集まってきました。「これは何ですか?」と聞く子どもたちに、「聞く前に考えてみて。」と切り返しました。すると、子どもたちは「瓦じゃない」「これとこれ似ているね」「お皿の下かなあ」と、どんどん考えていきました。 |
<教科書の記述と昼生の歴史をつなぐ>
<平安時代だから1200年前だね。> |
邪馬台国・渡来人・前方後円墳・和同開珎・聖武天皇等、話に出てくるたびに教科書のどこに書かれているか探したり、年表で何年前か確かめたりしました。 | |
「わあ、漢字ばっかり。」と言う子どもたち。でも、よく見ると、邪馬台国や卑弥呼という記述が見つかります。教科書に載っているからではなく、本物で確かめると納得することができました。 | <魏志倭人伝のここに邪馬台国と書いてあるよ> |
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<鈴鹿川流域の古墳模式図で見ると大きさの違いが分かるね> |
古墳時代の土器が昼生で見つかったということは、この辺りも古墳を作り、同じ土器を作っていたのです。 前方後円墳が亀山にもあります。 「大阪の古墳と比べると小さいね。大王との力の違いを示しているのかな?」 本物や身近な情報から、昼生の歴史も日本の歴史と同じ流れをしていることが分かりました。 |
<土器をもとに考える>
<これは何に使ったのかな?> |
<三つの土器、形も色も違うね> |
<なぜこの形なのかな?> |
縄文土器深鉢と弥生土器台付き甕の用途について考えあいました。 |
(子どもたちの感想から)
・私は今まであんまり興味がなかったけど、「これはなんやったんやろ?」とかいろいろ考えているうちに、だんだん興味をもってきました。
・最初は本当にこんな時代があるのかとか、うそじゃないのかと思っていたけど、今日の授業で本当にあるんだって思いました。本物を持ってきていただいたことでそうなんだと分かったので楽しかったです。
・実際に歴史のある土器や本物のお宝に触れ合うことができました。教科書にものっていないことも教えてもらいました。
・実際に見て触って、すごく重かったり軽かったりしました。
・教科書だけでは分からない亀山の歴史や、実際に発掘された土器なども資料として授業をしたり、クイズ形式にして楽しく授業をしたりしていただいてとてもうれしかったです。
・今度は行って、本物の本なども見てみたいです。
子どもたちの感想にあるように、自分で見たり聞いたり考えたりすることが、地域学習の基本です。
提示資料(亀山市歴史博物館所蔵)
昼生地域の航空写真(1989年:現在の昼生小学校建築前の状況)
光於堂遺跡(現昼生小学校地)出土品(寛永通宝・煙管・紅皿・緑釉水注)
「三国志」(魏志倭人伝:複製)
前方後円墳の航空写真(亀山市井尻古墳)
鈴鹿川流域の古墳規模・墳形模式図
和同開珎(阿野田町出土)
「古事記」・「日本書紀」
縄文土器(中期:山下町出土)
弥生土器(台付甕・器台:川崎町出土)