昭和(しょうわ)の海外交流(かいがいこうりゅう)
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)で中国(ちゅうごく)での利権(りけん)を得(え)た日本(にほん)と中国(ちゅうごく)へ進出(しんしゅつ)したいアメリカとの関係(かんけい)は、日本人(にほんじん)のアメリカへの移民問題(いみんもんだい)もあり、悪(わる)くなりました。これを憂(うれ)いたアメリカ人(じん)に、日本(にほん)で布教活動(ふきょうかつどう)をしていた宣教師(せんきょうし)のシドニー・ルイス・ギューリックという人(ひと)がいました。アメリカに戻(もど)ったギューリックはお互(たが)いの文化(ぶんか)の交流(こうりゅう)のため、アメリカ市民(しみん)から日本(にほん)の子供達(こどもたち)へ友情(ゆうじょう)の人形(にんぎょう)を贈(おく)ることを計画(けいかく)しました。こうして1927年(ねん)(昭和(しょうわ)2年(ねん))の春(はる)、日米親善人形大使(にちべいしんぜんにんぎょうたいし)として、アメリカから日本(にほん)の子供達(こどもたち)へ人形(にんぎょう)が届(とど)けられました。この人形(にんぎょう)を通称(つうしょう)「青(あお)い眼(め)の人形(にんぎょう)」と呼(よ)びます。この地域(ちいき)でも鈴関小学校(れいかんしょうがっこう)(現(げん)関小学校(せきしょうがっこう))・井田川小学校(いだがわしょうがっこう)・川崎小学校(かわさきしょうがっこう)・亀山小学校(かめやましょうがっこう)(現(げん)亀山西小学校(かめやまにししょうがっこう))・県立女子師範学校附属小学校(けんりつじょししはんがっこうふぞくしょうがっこう)(現(げん)亀山東小学校(かめやまひがししょうがっこう))・昼生小学校(ひるおしょうがっこう)・野登小学校(ののぼりしょうがっこう)へ1体(たい)ずつ贈(おく)られました。この贈(おく)り物(もの)に対(たい)し、日本(にほん)からも御礼(おれい)として、同年(どうねん)11月(がつ)、渋沢栄一(しぶさわえいいち)を中心(ちゅうしん)に市松人形(いちまつにんぎょう)がアメリカの子供達(こどもたち)へ贈(おく)られました。この人形(にんぎょう)を「答礼人形(とうれいにんぎょう)」と呼(よ)びます。三重県(みえけん)からは「三重子(みえこ)」と名付(なづ)けられた人形(にんぎょう)がアメリカへ贈(おく)られました。残念(ざんねん)なことに、第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)がおこり、日本(にほん)とアメリカが敵対(てきたい)すると、青(あお)い目(め)の人形(にんぎょう)は、敵国(てきこく)の人形(にんぎょう)として壊(こわ)されたり、捨(す)てられたりしました。