1974年(ねん)(昭和(しょうわ)49)7月(がつ)25日(にち)集中豪雨(しゅうちゅうごうう)
1974年(ねん)(昭和(しょうわ)49年(ねん))7月(がつ)25日(にち)、午前(ごぜん)2時(じ)20分(ぷん)に集中豪雨(しゅうちゅうごうう)による大雨洪水警報(おおあめこうずいけいほう)が発令(はつれい)されました。この集中豪雨(しゅうちゅうごうう)では、19時間(じかん)の間(あいだ)に3ヶ月分(かげつぶん)の雨(あめ)(381mm)が降(ふ)り、これにより河川(かせん)が氾濫(はんらん)、全半壊(ぜんはんかい)17戸(こ)、浸水家屋(しんすいかおく)935戸(こ)、道路寸断(どうろすんだん)、橋(はし)が流出(りゅうしゅつ)し、市内(しない)ではとても大変(たいへん)な被害(ひがい)が出(で)ました。辺法寺町(へんぼうじちょう)・安坂山町(あさかやまちょう)・両尾町(ふたおちょう)は、野登橋(ののぼりばし)が流出(りゅうしゅつ)したために孤立(こりつ)しました。この救助(きゅうじょ)のため、市災害対策本部(しさいがいたいさくほんぶ)は、午前(ごぜん)9時(じ)30分(ぷん)に自衛隊(じえいたい)の派遣(はけん)を要請(ようせい)しました。この災害(さいがい)を亀山(かめやま)では49災(よんきゅうさい)と呼(よ)んでいます。