亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)安全(あんぜん)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

安全(あんぜん)

亀山市(かめやまし)の安全(あんぜん)を守(まも)るための組織(そしき)として、警察(けいさつ)と消防(しょうぼう)があります。それぞれ、どんな歴史(れきし)をたどってきたか見(み)てみましょう。

 

警察(けいさつ)

明治(めいじ)12年(ねん)ころには、鈴鹿郡(すずかぐん)(今(いま)の亀山市(かめやまし)と鈴鹿市(すずかし)の一部(いちぶ))の警察(けいさつ)は、関警察署(せきけいさつしょ)だけでした。その後(ご)、明治(めいじ)28年(ねん)ころになると、亀山警察署(かめやまけいさつしょ)が今の江ヶ室町(えがむろちょう)にでき、関警察署(せきけいさつしょ)は亀山警察署(かめやまけいさつしょ)の関分署(せきぶんしょ)になりました。
昭和(しょうわ)29年(ねん)ころになると警察(けいさつ)の制度(せいど)が変(か)わり、三重県(みえけん)亀山警察署(かめやまけいさつしょ)という組織(そしき)になります。
昭和(しょうわ)33年(ねん)には東御幸町(ひがしみゆきちょう)に警察署(けいさつしょ)を新築(しんちく)し、昭和(しょうわ)57年(ねん)には現在(げんざい)の警察署(けいさつしょ)を新築(しんちく)して移転(いてん)しました。



  江ヶ室町(えがむろちょう)にあった昭和(しょうわ)29年(ねん)ごろの警察署(けいさつしょ)

  昭和(しょうわ)33年(ねん)に東御幸町(ひがしみゆきちょう)にできた警察署(けいさつしょ)

 

消防(しょうぼう)

昭和(しょうわ)26年(ねん)ころ、亀山町(かめやまちょう)が消防本部(しょうぼうほんぶ)をつくりました。昭和(しょうわ)34年(ねん)ころには、木造(もくぞう)の消防庁舎(しょうぼうちょうしゃ)を作(つく)りましたが、消防(しょうぼう)の職員(しょくいん)がや、消防車(しょうぼうしゃ)が増(ふ)えて、その建物(たてもの)では狭(せま)くなったので、昭和(しょうわ)42年(ねん)には新(あたら)しい消防庁舎(しょうぼうちょうしゃ)を作(つく)りました。
平成(へいせい)9年(ねん)には今(いま)の消防署(しょうぼうしょ)ができ、消防本部(しょうぼうほんぶ)は移転(いてん)しました。それまでの消防庁舎(しょうぼうちょうしゃ)は、今(いま)は市役所(しやくしょ)の一部(いちぶ)になっています。
その後(ご)、平成(へいせい)15年(ねん)には関消防署(せきしょうぼうしょ)の新庁舎(しんちょうしゃ)ができ、平成(へいせい)27年(ねん)には北東分署(ほくとうぶんしょ)ができて、消防本部(しょうぼうほんぶ)から遠(とお)い場所(ばしょ)でも、素早(すばや)く消火活動(しょうかかつどう)に行(い)けるようになりました。



  昭和(しょうわ)33年(ねん)ころの消防車(しょうぼうしゃ)

  昭和(しょうわ)42年(ねん)の消防庁舎(しょうぼうちょうしゃ)竣工式(しゅんこうしき)

  旧(きゅう)消防庁舎(しょうぼうちょうしゃ)(今(いま)の亀山市役所(かめやましやくしょ)西庁舎(にしちょうしゃ)


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