羽柴秀吉(はしばひでよし)の亀山(かめやま)・峯城攻(みねじょうぜ)め
織田信長(おだのぶなが)の死後(しご)、羽柴秀吉(はしばひでよし)の力(ちから)が大(おお)きくなります。しかし、織田信孝(おだのぶたか)は柴田勝家(しばたかついえ)や瀧川一益(たきがわかずます)らと協力(きょうりょく)して秀吉(ひでよし)と対立(たいりつ)します。関氏(せきし)は羽柴秀吉(はしばひでよし)に味方(みかた)しますが、瀧川方(たきがわがた)に亀山城(かめやまじょう)を奪(うば)われてしまいます。1583年(ねん)(天正(てんしょう)11年(ねん))2月(がつ)6日(か)、羽柴秀吉(はしばひでよし)は亀山(かめやま)、峯(みね)、国府城(こうじょう)に攻撃(こうげき)を開始(かいし)しました。天正(てんしょう)11・12年(ねん)の戦(たたか)いは、羽柴秀吉(はしばひでよし)が天下(てんか)を統一(とういつ)するきっかけとなり、この戦(たたか)いが終(お)わった後(あと)に、関白(かんぱく)となり姓(せい)も豊臣(とよとみ)に改(あらた)めます。